ページ

2011年2月11日金曜日

生きるべきか、死すべきか…

人生は、生まれて以来、死に向かって生きている。
ある人は、自分の人生を生かすために生きるという。
またある人は、人生の最期を迎えるために生きているという。
彼らは、ただ人生を楽しむために生きるという。

しかし私は、最後の瞬間まで生きるために今を生きる。
人生を歩いて進むも、車で行くも、各駅停車の列車、特急に乗るも、または空路で行くこともあるであろう。
人の生活はだんだんスピード化しているが、時間は決して変わらず、終わることがない。

人生に与えられた時間は、人により様々である。
私は人生の年数にこだわらない。
むしろ、時間的長さより質によりこだわる。
いかに、貴重な時間を過ごすか、である。

私は今、織田信長の言葉が心に残る。
彼は、思いがけず、腹心の武将の奇襲にあった。
彼は、最期の言葉を放った。
「私の屍を髪一本、骨ひとかけら残してはならぬ」と。
(NHK大河ドラマ 「江」第五話より、豊悦の信長はすごかった!)
彼の亡骸は、とうとう見つけられなかった。
自害をする前に彼は自分の年齢が50歳という世を去るには十分であると思った。

彼の全国制覇への野望は、道半ばにして遂げられなかった。
だが、彼は、闘いの中で多くの命を死に追いやってきた。
彼は、もしかしたら、自分をも殺してしまうほどの力を授かってしまったのかもしれない。
一方、彼は未完の悲劇のヒーローであるも、歴史上の重要な人物である。
彼は、閉鎖した社会に風穴を開けるほどの開化を行った。
それ故、彼は歴史に名を残すのであろう。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ドラマの中の壮絶な人生をレビューすることにより、今の現実の豊かさ、安定さに感謝しなければならないと思うのです。
確かに、今とて、ある意味では大変な世の中であるかもしれませんが、相対的には、生命を脅かされることがない限り、幸福であることができます。
しかし絶対的な幸福は、時代や環境によって左右されるものではありませんから、一概には言えないかもしれません。
私の周りの人々の不幸は、不況による経済苦、病苦、家庭不破、それらを包括した心の病 等々。
時代は変わっても、苦悩はいつの世も同じくなのかもしれません。
生きて死んで行く間に、いく度もそうした苦悩を乗り越えて行くのが人間の一生なのですから、
生きる=苦楽を味わう、ことにしましょう。
今日は、心に詰まった泥を吐き出すかのように、支離滅裂に書いてしまいました。


-- iPadから送信



0 件のコメント:

コメントを投稿